三崎峠から有耶無耶の関を訪ねるみち

この道は「新奥の細道」秋田県内のコース1に紹介されているもので、三崎公園を基点に関バス停までの11.2kmとなっています。
今回歩いたのは北海道宗谷岬から「e旅 歩き旅」と題して、徒歩の旅を続けて40日目(通算54日)の「象潟~山形県遊佐」31.5kmの内の中間部13.0kmです。
国土地理院の2万5000分の1の地図によると、三崎公園の近くに「有耶無耶の関址」という場所がありますが、東北自然歩道「三崎峠から有耶無耶の関を訪ねるみち」の案内板には関バス停のある集落が「有耶無耶の関」という表示になっています。
「三崎峠から有耶無耶の関を訪ねるみち」というタイトルからも2万5000分の1の地図の「有耶無耶の関址」ではなく、これはやっぱり案内板にある関集落の「有耶無耶の関」を訪ねるみち という意味であろうと思います。
それにしても「有耶無耶(うやむや)の関」とは奇妙な名前です。はっきりしないとか、あいまい、とかあまり良いイメージではない言葉が敢えて使われているには、何か深い意味がありそうですが、結局分からず仕舞いでした。

関の「三崎峠から有耶無耶の関を訪ねるみち」の案内板 なぜか埋まってしまった標柱(関にて)
やや草深いですが、この程度なら大丈夫、歩けます。(左)
すぐに歩きやすい道になり、砂浜の中野沢海岸に出ました。(右)
この「三崎峠から有耶無耶の関を訪ねるみち」は国道7号線と海岸を何度も行ったり来たりするルートで、しかも砂浜を歩く設定になっています。
乾いた砂と波打ち際の湿った砂との境目が一番固くて歩き易いように思いました。

巣穴の住人は誰でしょう
上の穴の住人が掘った砂です。この量から見て、穴は相当深いようです。
鳥海山の溶岩が海に押し出した断崖絶壁から泉が湧き出している「福田の泉」という所があり、芭蕉もここで雨宿りしたとあります。
国道7号線を携帯メールを打ちながら歩いていて、三崎公園入口を大幅に通り過ぎてしまい、GPSを見て初めて気付き戻る羽目になってしまいました。GPSが「ピー」と鳴った筈ですが車の騒音と、メールに集中していたので気付かなかったようです。
昔、松尾芭蕉が歩いた本当の「奥の細道」 「奥の細道」は三崎公園内を南北に縦断していました

「奥の細道」の旧街道は普通の山道という程度の幅の道でした。多くの旅人のワラジでつるつるに磨かれた路石は黒光していました。案内板にはこの石を「鏡石」と呼ぶと書いてありました。
「旧街道には江戸時代の一里塚や大師堂、五輪塔なども残されている」と書いてあったので、歩いてみようと思って入ってみましたが、上の画像のようにはっきりした道は公園の車道からちょっとの間だけで、だんだん草深くなってきたので戻って現代の遊歩道を歩くことにしました。

三崎公園の「夕日ポイント」 ここも三崎公園観音崎の
「夕日展望台」
ここは「日本の夕日百選」の地
三崎公園内の遊歩道 山頂付近が秋田県と山形県の県境です 県境の表示板
三崎という地名は歩いて来た順に「観音崎」「大師崎」「不動崎」の三つを合わせて言うらしい。
日本の夕日百選の岬は観音崎
左端画像の三崎灯台は大師崎
中央の画像は不動崎付近です。
芭蕉が歩いた旧街道はタブの木が生い茂り昼なお暗い細道だったそうですが、現代の遊歩道は、きれいに整備され景色も良く快適な道でした。
右端の画像は三崎峠の終点。
国土地理院の2万5000分の1の地図にある「有耶無耶の関跡」はこの付近ですが、案内板にはここから旧道を300mほど北へ行った所だと描いてありました。

奥に延びる踏み跡は旧道「奥の細道」

旧道「奥の細道」の三崎峠

峠といっても、直ぐ横を国道7号線が走っていて、ほとんど水平な道からは峠のイメージはありません。
しかし、三崎公園入口付近の7号線から見るこの低い山にはタブの木が密生していて、芭蕉の時代でなくてもとても歩けるものではないことが分かります。
案内板には「古来、交通の難所として知られ、周辺には地獄谷、駒泣かせ、の地名が残っています」とありました。
関所が関村にあったのか、2万5000の地図どおりこの三崎峠付近にあったのかは別にしても、現在の明るい快適な遊歩道からは想像できない交通の難所だったようです。

データ
  • 2006.10.11(水)
単独
関バス停
2.2km

10:24

10:54

中野沢海岸
1.3km

11:12

洗釜海岸
2.0km

11:42

福田の泉
2.3km

12:29

小砂川
2.8km

13:27

三崎公園入口
2.4km

 

14:15

三崎峠
歩行距離
約13.0km
行動時間
約3時間51分
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