タバコは百害あって一利なし、酒は百薬の長。 などと言われている。
適量の酒は健康増進につながるらしい。
この適量とは、よく言われるのが 『日本酒なら1合、ビールなら1本まで』 となっている。
しかし、これには 『1週間に2日の休肝日を設ける』 という但し書きが付いている。

ここで私は疑問に思う。 1週間に2日も肝臓を休めなくてはならないのが本当に適量だろうか?
お酒好きの医者が多めに設定した 『適量?』 が一人歩きしているのではないだろうか? と・・・・。
百薬の長になる適量なら、毎日飲み続ける方が良い筈である。肝臓を休ませなくてはならないのは、量が多すぎて肝臓に負担をかけているからで、決して適量ではあるまい。
酒は基本的には体にとって毒物であると思っている。肝臓で解毒作用が必要だということが何よりの証拠。

昔から養命酒というのがある。アルコール濃度がどの程度あるのか知らないが、薬臭い甘い酒である。私の祖母は、これを付属のカップに1パイ、毎日飲んでいた。
禁酒した私が今思う酒の適量は、週に2日の休肝日を設けなくてもよい量が、本当の適量ではないか。その量は日本酒ならおそらく養命酒に付属のカップ1パイ程度、杯なら2~3杯程度ではないだろうかと思う。

酒は嗜好品、いわゆる趣味の飲み物だから、より高級なものを嗜むのが本来の姿だ。
コーヒーでも紅茶でもそれを趣味としている人は、決して安物で我慢したりはしない。より高級なものを求め、薀蓄をかたむけたりするものである。
酒も本来そうあるべきで、安い酒を飲むようになったら、それは既に酒に飲まれている証拠である。いわゆるアルコール依存症である。
日本酒よりも焼酎のお湯割りを、ビールよりも発泡酒を飲むようになったら要注意だと思っていい。

酒は依存症になりやすい飲み物であるため、私がかつてそうであったように、適量を超えてなお飲みたくなるものでもある。
そして遂には家計の適量を超え、発泡酒や焼酎など安い酒に切替えてでも量を求めるようになる。

酒はコミュニケーションの潤滑油だと思っている。だから特別な場合を除いて禁酒までする必要はない。
コミュニケーションの潤滑油としての酒は、独りで飲んではいけない。
友人知人、会社の同僚、仕事上の付き合い、冠婚葬祭、妻や息子との家庭だんらん・・・・・等々、楽しい会話があってこそ酒は潤滑油としての役目が果たせる。
家で飲んでいても、TVを見ながら黙って飲んでいては家族とのだんらんにはならない。
独りで飲む酒は潤滑油どころか、家庭にも社会にも摩擦を増やす「サビ」になってしまう。
また、潤滑油は大量には必要ない。コミュニケーションの”滑り”を良くする程度で充分で、飲み過ぎて周りの人に迷惑をかけるようでは逆効果である。

禁酒した今思うことは

  • ■ 『酒の本当の適量』 は休肝日の必要がない量。
  • ■ 安い酒を飲むようになったら、立派なアルコール依存症。
  • ■ 酒は付き合い上必要だと思うなら、晩酌は必要ないはず。
  • ■ 多少でも酒による健康のことが気になったら、既に『百薬の長』は『百害』に。
  • ■ 独りで飲む酒は、家庭や社会の摩擦を増大させる。

独りで飲む酒はコミュニケーションを錆びさせ、「憂さ」が蓄積する。
その「憂さ」を晴らすために、また独り酒をするという悪循環に陥る。
そして遂には体を壊すか、家庭を壊す。

先日、アルコール依存症の警察官が飲酒運転で重大事故を起こしたニュースが報道された。
酒に、体や家庭、そして自分の人生のすべてを賭けるほどの値打ちがあるものでないことぐらいは誰もが知っているはずなのに、それらを賭けてしまうのは、あまりにも馬鹿馬鹿しい。(2009年9月13日追記)
酒は会話を楽しみながらコミュニケーションの潤滑油として”適量”を宗とすべし!

データ
  • 2006.07.18(火)
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